年始にあたって これからの公務員像 2013/1/1更新

新年あけましておめでとうございます。
今年がみなさんにとって素晴らしい一年となるように
お祈り申しあけます。
さて、昨年末より「公務員像」について
お話をしています。
昨日の続きの今日の記事は
https://www.kijijuku.com/news/news126.html
昨日までの記事は下記に張り付けました。
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みなさん、こんにちは。
これからの公務員像について、
この一年私なりに考えたことを
この場で少し書いてみるつもりです。
ぜひお立ち寄りください。
1 知事からの話し
先日、ある県の知事さんとお話をする機会に知事からこんな話があった。
知事は、職員のみなさんに向けて
1 共感力
2 政策力
3 発信力
の3つがとても重要であることを繰り返し話しているそうだ。
1 共感力
住民が話を持ってきたときに、「めんどうくせえなあ」と聞くのではなく、
「何が問題でこの人はここまで来ているのか?
その人の気持ちに共感して考え始める力が必要だ」
というのだ。
「いまどき『めんどうくせえなあ』なんていう公務員いるのかねえ」
と思わず聞いてしまいましたが、
「いるんだよ。そういう公務員が多いと思うよ」
と言っていました。
「公務員」であるかどうかは別にして、どの企業でも、サークルでも、ゼミでも、組織の中には多かれ少なかれ「後ろ向き」の人がいるものです。なにか新しい提案をすると、「できない」理由をどんどんあげてくれるたちです。
確かにそういう問題を解決しておかなければ、
新しいことに及んでも結果的にはひどいことになってしまうなど
ということもあるので、それは重要なことではあります。
しかし、せっかく前向きになろうとしている場を壊すばかりか、
積極的な意見を出しにくくしてしまうものです。
実は私も2年前に中野区長選挙に立候補したとき、
住民の方々に支持を訴えるためのペーパーに、
「窓口の職員が、まず、
『それいいですね。具体的に考えてみましょう』
と言えるそういう職員にします」
と書いたことがあります。
私自身、住民の一人として、地域の問題に少しでも何かできないものかと
地元の方々と活動をし、役所の方とかかわりを持つと、
「あれもダメ、これもダメ、それは無理…」という役所の方たちの言葉に
本当に嫌になってしまっていた経験があったからです。
一生懸命に住民としての役割を果たそうといろいろな実践もし、提案もしている方たちも、役所の人が消極的だと、だんだんと嫌気がさし、役所から離れて行ってしまいます。そういう人を何人か知っています。
役所の論理ではなく、住民に共感できる人でなければならない。
住民に共感できるためにも、自分自身も一住民として日ごろから問題意識を共有できる基礎を作っておかなければならない。
そのためにも「公務員」であるよりも前に「一住民」であることが大切だと思います。
皆さんは、これから公務員を目指そうとしているわけですが、
すでにどこかの住民ではあるわけですから、
一住民として何か心配事はないか、気になることはないか、
そういう視点をもつことは今すぐにでもできるわけです。
それこそが「共感力」の基礎体力になるはずです。
一度、そういう目で、耳で、周りを見渡してみましょう。
2 政策力
問題を認識し、その解決法を考え、実践していく力、政策を形成する能力のことだろうと思います。実は喜治塾の創立当初から、パンフレットに私が書いていたことの一つも同じです。
「政策形成能力の基礎をつくるために公務員試験では、幅広い知識とそれらを基にした推理力が試されている。だからこそ合格後、公務員として活躍するためにも公務員試験を真正面からとらえ、その対策をとっていくことが必要であるいう認識のもとに公務員試験対策もとっていきます。」
これが喜治塾の指導方針なのです。
ところで、今日は「政策力」という点について、「目的、手段、目標」という言葉を紹介してみたいと思います。
私は、政策シンクタンク「構想日本」の事業仕分け人の一人として、毎年、全国各地の自治体が行う「事業仕分け」に参加をさせてもらっている。その事業仕分けの討議の中でいつも問われるのは次のことだ。
「その事業を実施する目的は何か、
目的を達成するために手段としてどういう政策をとるのか、
そして、目的達成に向けて、どういう目標をもって取り組んでいるのか、
その目標は達成できているのか、もし達成できていないとすれば、その原因はなにか」
そういうことを意識して政策に取り組んでいるかどうか」
そういうことが公開の場で問われるのである。
目的達成に向けて、短期、中期、長期の目標をもって、それを達成するために努力をすることが、重要である。
そもそも「目的」自体がナンセンスであれば話にならない。
また「目的」を達成するための「手段」になっていなければこれまた意味がない。
「目的」「手段」が正しくても、目標をもって、取り組み、その都度達成度を検証し、必要があれば修正を施さなければ、目的を達成することはできない。それを意識して仕事をしているかどうかが問われるのである。
そういえば、このところ、話題になっている「インフレターゲット」、最近は言い方を変えて「物価目標」などと言っていますが、安倍新首相は、まだ首相になる前、日本銀行が目標を持っていないからダメなのだ。目標がないから責任がない。責任がないから、真剣な取り組みをしない」というような文脈でも使っていましたね。
つづく